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好きなものを堂々と好きだと言えることのすごさについて

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ちょっと前、2次元のキャラクターと結婚した、近藤さんという男性のニュースが話題になった。

www.itmedia.co.jp

 

人それぞれいろんな価値観があっていいと思うし、このニュースに対してもいろんな意見があった。

 

私は、自分の好きなものを堂々と「好きだ」と言えることはすばらしいことだと思った。

 

同時に、この近藤さんってすごい人やなと思うのね。

 

自分の好きなものを堂々と好きだと言えることのすばらしさ

 世の中にはいろんな価値観の人がいて、中には自分とは反対の価値観を持つ人もいる。 

 

だからときには、自分とは反対意見の人たちから攻撃されることもある。

 

上記のニュースにも、いろんな意見があったし、近藤さんのことを

「気持ち悪い」「異常」「おかしい」

というように、真正面から否定したり攻撃する意見もあった。(見ていて辛かった)

 

この男性自身、そういった反応がくることは予測できていたと思うのね。

 

twitterを拝見させていただいたが、私なんて到底及ばないくらい、とても頭の良い方だと感じた。)

 

それでも、自分の好きなものを堂々と好きだといえること。

 

そして「結婚式を挙げる」という、具体的な行動に移すことができるということ。

 

人の意見に左右されない強さ、具体的な形に移せる行動力。どちらも今の私には足りないものであり、身に着けたいものだ。

 

自分の好きなものを否定されることの怖さ

私が、「好きなことを好きだ」と言える近藤さんをすばらしいと思った理由は、好きなことを好きだということには、怖さがあるからだ。

 

好きなものを好きだということの怖さは、大きく分けて2つ。

 

ひとつは、自分の価値観を否定されることの怖さ。

 

もうひとつは、自分の好きなものを否定される怖さ。

 

わたし自身に置き換えて考えてみると、ひとつめの、自分の価値観を否定されることはまだ許せると思う。

 

上で書いたように、全ての物事には反対意見があることを理解しているから、「あ、そういう人もいるのね」と、さっと離れたり流せることが多い。

 

違う価値観の人とは、どこまで行っても平行線やと思うし、無理に分かり合おうとすると、エゴとエゴのシーソーゲームになってしまうと思うからね。

 

(お互いに、「分からせよう」というシーソーゲーム)

 

ただ、自分の価値観を否定される以上に我慢できないのが、わたしの場合は、自分の好きなものを否定されることやと思う。

 

私は昔から、自分のことは否定されても、自分の好きな人のことや周囲の人など、自分の大切だと思っているものを侵害されることが許せない部分が強かった。

 

福山雅治の「聖域」やないけど、まさに「触るな、心に」だった。

聖域

聖域

  • provided courtesy of iTunes

 

私の価値観を否定することは許せる。「あ、この人は私と違う価値観なんやなー」って。

 

ただ、「私のこと」ではなく、「私が大切にしたいもの」を否定されることが許せない。

 

理解も求めない。賛同も求めない。

 

ただ、「分からないなら分からないでいいから入ってくるな」という感覚。

 

まさに聖域ね。

 

ただ、「怒る」「腹をたてる」という感情がわく原因は、掘り下げると「怖いから」でもある。

 

この男性は、自分の好きなもの(初音ミク)や二次元を否定されることに対しての怖さはなかったのだろうか。

 

あっても、それをも上回る愛だったのかな。

 

好きになったものが、たまたま「人ではなく二次元だった」だけ

この男性のtwitterを少し拝見させていただいたんやけど、あくまで、「自分の家のミクさんと結婚する」という認識だと仰っていた。

 

同じものを好きな人に対しての配慮までできていることや、願いを叶えてくれた周囲の人への感謝

 

この2点もすばらしい人やなと思った。

 

愛の形や定義は人によっていろいろだと思うけど、この人は、ただただ純粋に、この人の家にいる「彼女」のことを愛しているんやなぁって。

 

  • 同性を好きになってしまった。
  • 血縁関係にある人を好きになってしまった。
  • 既婚者を好きになってしまった。
  • 二次元を好きになってしまった。

 

世の中には、いろいろな「タブー」とされることがある。

 

だけど、そのこと自体は、「好きになった相手が、たまたまそうだった」だけではないのだろうか。

 

※誤解のないように書いておくけれど、決して近親相姦や不倫を擁護しているわけではないよ。

 

大人になるほど、好きなものを好きだといえなくなるのかもしれない

大人になるほど、年齢を重ねるほど、いろんなことを経験していく。否定されること、傷つけられること、挫折すること。

 

それと共に、人の目を意識するようにもなる。

 

だからこそ、人は好きなものを堂々と好きだと言えなくなるのかもしれない。

 

自分の好きなものを、堂々と純粋に「好きだ」と言えていた子供のころの感覚。

 

これは大人になっても、変わらずずっと大切にしていきたいものやね。

 

自分の好きなものを堂々と言える自分であり、世の中であって欲しい

自分の好きなものを堂々と「好きだ」と言える自分でありたいし、そんな世の中であってほしいと、このニュースを見て強く思った。

 

自分の好きなものを堂々と好きだと言えたら、きっともっと生きるのが楽しくなると思う。