自由人法帳

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パンセクのXジェンダーだけど、「性別に囚われない」ことに囚われない

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私はパンセクのXジェンダーだ。

 

→パンセクって?Xジェンダーって?という人はこちらをどうぞ

 

いわゆる、「性別を普段からあまり意識してない人」である。

 

ただ、そのことに固執はしていないよというお話。

 

自分自身がセクシャルマイノリティーだという人や、身近にセクシャルマイノリティーの人がいるという人、「性別のあり方」に悩んでいる人にぜひ読んでみてほしくてこの記事を書いた。

 

 

性の多様性

性別って、男性女性の2種類だけではないと私は思う。

 

かっこいい女性もいれば可愛い男性もいるし、女性が好きな女性がいれば、男性が好きな男性もいる。

 

「好きになるのは女性だけど男性になりたい女性」もいれば、「好きになるのは男性だけど女性になりたい男性」もいる。

 

「自分が何であるか」と「好きになる対象が何であるか」には、本当にたくさんの種類があるのだ。

 

自分は男女どちらでもないと感じる人もいれば、どちらも好きになる人もいる。そもそも性別の認識がない人もいるし、人を愛さない人もいる。

 

私自身がパンセクのXジェンダーなので、知り合いや友人にはいわゆるセクシャルマイノリティーの人も何人もいる。

 

その人達と接してみて、ほんと、性のあり方は多種多様だと思った。

 

セクシャルマイノリティーの人の中にはそのことに固執する人もいる

ただ、セクシャルマイノリティーの人の中には、自分がセクシャルマイノリティーであることに固執する人もいる。

 

人の考え方はその人の自由だから否定はしないけど、私はそれってしんどくないのかなと思う。

 

私は自分自身でも、「自分」とはかなり流動的なものだと感じるからだ。

 

私も、もともとは、自分が好きになる対象は男性だと思っていた。

 

でもあるとき好きになった人は女性で、「私は性別関係なく人を好きになるんかー」と気づいた。笑

 

生まれ持った性別は女性だけど、女であることを否定されて育った結果、「女性であること」に違和感を覚えるようになった。

 

かといって男性でもなくて。

 

日常生活の中で、「男性か女性か?」と聞かれたら、私は「女性」だと答える。

 

普段周囲の人は私のことを女性だと認識しているし、それに対して「違う‼︎」と声を上げるのは摩擦を生むだけだからだ。

 

自由の国アメリカならまた勝手が違ったかもしれないけど、ここは日本。

 

まだまだ、セクシャルマイノリティーには厳しかったり理解が少ないのも事実で、「私はXジェンダーだ!パンセクだ!」と声高に叫ぶことで得られるメリットって正直少ない。

 

わざわざ摩擦を生む必要はないよね。

 

「私はXジェンダーパンセクシャル

 

これは自分自身が分かっていればいいことで、わざわざ知らない人にまで言う必要はないことだなと思った。

 

それに、私みたいにある日突然「ありっ?」て思うことだってあるわけだ。

 

セクシャルマイノリティーに固執するということは、ある日突然訪れるかもしれない「ありっ?」に対処できなくなる可能性がある。

 

自分の中で違和感を感じつつも、「でも私は男が好きなのよ!」って自分の心に蓋をする人がいる。

 

いつどう感じるかなんて誰にもわからない。

 

そのまま男性を好きなままかもしれない。突然女性が好きになるかもしれない。「性別」という概念に囚われなくなるかもしれない。

 

いつどう感じかたが変わるかなんて誰にもわからない。

 

そういったことをひっくるめて考えると、性別やセクシャルマイノリティーであることに固執はしないほうがいいんじゃないかと思う。

 

セクシャルマイノリティーはあくまで「私」の中の1つ

Xジェンダーだパンセクだと言っているけど、それはあくまで「私」という人間を構成する要素の1つでしかないと私は思っている。

 

たとえば、猫が好き・楽しいことが好き・放浪が好きなどと同じ位置付け。

 

「私」という人間を構成する要素の中に、パンセクやXジェンダーという要素があるだけ。

 

それ以上でもそれ以下でもなくて、決して過剰反応することではないかなって。

 

セクシャルマイノリティーだからって悲観する必要はないし、固執する必要もない

自分がセクシャルマイノリティーだと気づいたとき、はたまた身近な人がセクシャルマイノリティーだと気づいたとき。

 

過剰反応したり批判したり悲観的になる人がいる。

 

セクシャルマイノリティー」という言葉の通り、少数派なのは間違いないからね。

 

そんな時は、さっき書いたことを思い出して欲しい。

 

セクシャルマイノリティーであることは、その人を構成する要素の1つでしかない。

 

私はセクシャルマイノリティーだけど、それを悲観してもいなし固執してもいない。

 

私はXジェンダーであり、パンセクである。

 

本当にただそれだけなのだ。

 

まとめ

一人一人が自由に生きたいように生きればいいと思う。

 

価値観や考え方、感じかたなんてどんどん変わる。

 

だからそれに固執する必要もないし、囚われる必要もない。

 

わざわざ周囲と摩擦を生む必要もないし、分かろうとしない人にわかってもらう必要もない。(これはセクシャルマイノリティーだけに限らないよね)

 

あくまで、私の特徴の1つだーくらいに思っていればいいのかなって思う。

 

その時その時の自分の感覚に従い、自分自身が生きやすい感覚で生きていきたいものやね♪